「 かえせ!太陽を 」
Posted By Dr. Feelgood on 2013年3月8日
私の実家は診療室から数百メートル
歩いて5分とかからない
よって私は生粋の地元っ子なのである
小学校1年生の頃
今の“けやき通り”一帯は田んぼだった
「ホウトク綿」や「ヤマカ練炭」といった会社の裏には
どじょうやマッカチンがうじゃうじゃいた
田んぼの穴に腕まで突っ込んで
泥んこになりながら
誰の捕まえたマッカチンが一番デカイかとか
青いザリガニを発見したら博士と言われたり
脱皮直後のザリガニをトウフと言って
グニュグニュ頭を押し潰したり
爆竹や2Bのクラッカーを仕掛けたりして
かなり残酷な遊びもした
もちろん今の場所に市役所なんてまだありぁしない
そこはウナギの養魚場だった
バラ線(有刺鉄線)が張り巡らされ
子供にはキケンな場所だと言い聞かされてはいたのだが
我々の部隊?!はそこへよく侵入した
ウナギは捕らえられなくても
時には田んぼでは出合った事のない
巨大どじょうやクサガメをGETできた
管理人に見つかっても
逃げ足には自信があったので
捕虜にはならなかった
でも学校に通報され
朝礼ではみんな“オトボケ作戦”を貫いた
ドロドロの網とブリキのバケツを抱えて田んぼで戯れていた
そんな味噌っ歯チームのスリリングな毎日も
ある日突然シャベルカーの音で吹っ飛ばされた
小学校3年生になると
凄まじい勢いで田んぼの埋め立てが始まった
周りの工場や会社も増えてきた
埋め立てられたその空き地で
毎日のようにソフトボールの試合をした
建設予定の記されたたて看板にわら半紙を貼って
スコアボードを作った
「これ以上オレたちの遊び場を破壊しないでくれ!」
毎日日が暮れるまでみんないっしょだった
或る日
外野に転がるボールを追いかけると
転がり着いた先は
田んぼのあぜ道に流れていた
あのきれいな小川ではなかった
水の澱んだヘドロだらけのドブ川
拾い上げた臭いヌルヌルのボールを投げ返す時
子供心に何とも言えない虚しさを感じた
4年生の頃にはと空き地に次々と家が建ちだし
周りの草木もあぜ道も無くなり
追い詰められたヘドロのドブ川は最悪の臭さを漂わせ
もちろん
ソフトボールをやる場所もどんどんとなくなっていった
朝礼では校長先生から
「今の養魚場の場所辺りに新しい市役所ができることになりました
工事のダンプカーやトラックがたくさんこの周辺を通る事になります
車には特に気をつけましょう」とお話があった
今、中国から
工場の煤煙や車の排ガス、国内の工場や車による複合汚染物質
PM2.5が黄砂と共に飛来している
関東でも高濃度の値が観測されているという
今月末から5月ごろまで濃度が高めの状態が続く可能性があるらしい
わが国に再び『 ヘドラ 』が出現するのなら
僕らのヒーロー『 ゴジラ 』を呼ばなくてはなるまい
中学に入学すると養魚場跡地に
新市庁舎が完成した
あのヘドロのドブ川はすっかり整備され
埋め立てられることなく
今でも“けやき通り”の脇を静かに流れている
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