徳松助教授が教えてくれた

Posted By on 2011年7月20日

大学受験に失敗した私は浪人生となり

全寮制の医・歯・薬大学受験専門予備校に送還された

当時はまだ医・歯・薬大学の人気は高く

全国から“ボンボン”と言われる大病院の御曹司や

医者は儲かるから子供を医者にしたいという金持ちの御子息・御令嬢

金はないけど頭は凄く良い国立一本の天才・秀才君

そして、私のようになんとな~くそこへたどり着いてしまった者などなど

予備校は医師、歯科医師、薬剤師を目指す生徒たちで溢れかえっていた

入学するとすぐに「ヒポクラテスの誓い」なるものを暗記させられ・・・

まあこの予備校生活は兵役期間のようなものでとてもハチャメチャであった!

後日詳しくブログに記する予定である

寮生活は朝起きると必ず軍隊のように点呼があり

予備校でも出欠は特に厳しかったため(休むと実家の親へ連絡、始末書の提出)

とりあえずは朝のテストを受け出席カードを提出する

 しかし、勉強以外のことなら何にでも興味があった当時の私が

エスケイプのテクニックを得るのにそう時間は必要としなかった

同じように大脱走した仲間と馴染みの喫茶店で落ち合い

引っ切り無しにたばこに火をつけては何をしようかと・・・

やりたい事は山ほどあったのだが実際お金がなかった

荒んだ生活 1982年 夏

それでも、なけなしの仕送りをはたいて、映画館へ向かうことが多かった

もちろんロードショー 上映されている映画なんて観れる訳がない

当時、都内にはいたる所にあった、いわゆる名画座といわれる映画館で

リバイバルの3本立てなどを500円くらいで観るのだ

八重洲や高田馬場、飯田橋、浅草、池袋・・・

“ぴあ”や“シティロード”片手にいろんな名画座へ行った

観終わった後その映画について仲間と語り合うのが好きだった

そんなある雨の日に観た映画

大森一樹監督 映画「ヒポクラテスたち」

医学生が1週間毎に各科を回る病院臨床実習「ポリクリニック」(俗にポリクリ)を通じ

青春の真っ只中ゆえの光と影、苦悩と不安を温かいユーモアとエピソードで描いた秀作だ

この映画には忘れられないシーンがある

オペケン(手術見学)に疲れきって、“腹減って死にそっ”とか言いながら

休憩室で休んでいる医学生のところへ

原田芳雄さん演じる外科の徳松助教授がやってくる

『なんだお前ら~ あれだけでバテとんのかぁ えっ情けないねぇ

まったくもう お前らなぁ 医者んなって大金儲けたろう 思っとるかも知れんけど

医者だからちゅうて、テレーッとして金が入ってくるわけじゃないよ、ああっ?

年間8千人近くが医者になってるんだから今

そのうちに医者なんて お前ダブダブ余っちゃってしょうがなくなるぞぉ(タバコに火をつける)

僻地行ったってだめだよ今、ちゃ~んと自治体から僻地に医者来ることになっとるんだから

甘かないよ~ 労働時間なんかな、けじめつかなくなんだから医者やっちゃったら

まったくもう おまけになぁ へたな治療でもやってごらん、患者だって昔とは大違いなんだよ

訴訟だよ 一発だよ 膨大な損害賠償払わなくちゃいけなくなるんだからぁ

18億払えるか お前ら18億!

それ払えんと 医者辞めたやつ アメリカにはゴロゴロいるんだから

聞いてるかお前?

だから~ キミたちには 知識も無い 技術も無い 経験も無い

あるのは何だぁ~? 体力だけだろぉ~

それがお前 こんな事ぐらいでバテとってどうすんの?

え~?生き残れないよぉ~ 見放されちゃうよ お前!』

すべてアドリブではないのかと思える本物の外科医のような強烈な演技だ

映画を観終わった後 いつものように仲間と喫茶店へ寄った

みんなあまり映画について話をしなかった

 ただ黙々と漫画を読んでいた(たぶんうわの空で)

これから医師、歯科医師を目指すである身

みんな 何かを感じとっていたはずだ

翌年、私は歯科大学へ入学した

大学5年生になった時、自身がポリクリを経験して

やはり徳松助教授のあの言葉を思い出した

どんなに偉い教授や大先生の言葉より私のハートに響いていたから

連日の病院実習、立ちっぱなしのオペケン、徹夜のレポート

確かに 若さゆえ あるのは体力のみって感じだったw

予備校時代によく映画を見に行った仲間は

医師や歯科医師、薬剤師になった者が殆どだが

残念ながらその道を諦めた者や自ら命を絶ってしまった者もいる

「ヒポクラテスたち」のビデオは擦り切れるほど観て

本当に擦り切れてしまい最近DVDを購入した

原田芳雄さんの訃報はまるで恩師を亡くした事のように残念で悲しくてさみしい

大好きな俳優さんでした

謹んでご冥福をお祈りいたします

About The Author

The Damnedやツネマツマサトシ、The Stoogesなどのカヴァー曲をリハーサルした後、初めてのライブをコイケミュージックホールで行なう。あまりにもメチャクチャで荒々しい演奏のせいで、わずか15分ほどで電源を切られTHE HOODLUMのデビューライブは終わった。そんな原点が今の活力!歯科医師としての情熱に繋がっている。

Comments

2 Responses to “徳松助教授が教えてくれた”

  1. さかなざんまい より:

    この映画、高校生の頃に見ました。
    ATGの映画が好きで、たまたま目に留まっただけなんですが
    この徳松先生の台詞と、古尾谷雅人の
    「Paint it black!」のシーンは鮮明に覚えてます。

  2. Dr. Feelgood より:

    コメントありがとうございます
    「Paint it black!」のシーン
    印象的な場面ですね
    大学の時ロックバンドをやっていたんですが
    あれを真似て白衣をマジックで真っ黒に塗りつぶし
    それを着てステージに立った事を思い出します

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