馬界転職
Posted By Dr. Feelgood on 2010年10月29日
私の父は樺太で生まれ
第二次世界大戦中
敷香町で軍馬の管理を任される家に育った
ソ連軍が不可侵条約を無視して南樺太・千島に侵攻して来た時も
一般市民よりもに先に軍に守られながら
引き揚げの船に乗せてもらえる待遇を受けたと
酒を飲みながらよく話してくれた
競争馬の話はあまりしなかったが
馬の特性はよく教えてくれた
競馬に興味を持ったのは大学生の頃であるが
初めて馬券を買ったのは
1989年の10月29日だったと思う(ちょうど21年前の今日)
その日私は朝から
総義歯の大家であられた村岡博先生のセミナーを
水道橋駅近くの会場で受講していた
午前の講義が終了し弁当が配られる
少人数のセミナーだとランチタイムは、ようやく張り詰めていた緊張も解け
受講者全員で講師を囲みながら、どこから来ただの、どこの大学の何期だの
和気藹々と世間話をしたりしてディスカッションをするのが常だ
その日の私は速攻で弁当を平らげ
まるで“家族ゲーム”の松田優作のように
お茶を一気に飲み干して、さっさと部屋を出て行こうとした
村岡先生に「おまえメシ食うのはえーな!」と呆れられたw
足早に向かったのは後楽園の場外馬券売り場
まだWINSなんて洒落た名は付いてなかった
PATは勿論、電話投票の権利も抽選倍率が高く
競馬場に行かれない者は、場外かノミ屋で馬券を買うしかなかった時代だ
第100回天皇賞だったからなおさらその日をよく覚えている
“ヤエノムテキ”の単勝⑪を内ポケットに入れ午後の講義に戻った
今みたいにワンセグはおろか携帯電話がないのだから
リアルな情報は全く手に入らない
結果が気になって気になって総義歯のすべてがうわの空だったような気がする
数ヵ月後、東京医科歯科大学の教室で
日本の臨床歯内療法の父と言われた大谷満先生の研修を受けた
またまた昼休みの弁当を早食いしてしまった
「キミは食べるの早いねぇ
大体ひとりの患者さんを診る時間と
歯科医の食事する時間は同じ位になるって言われてるんだよ
きっと先生ん所は患者さん多いんだね」
大谷先生の一言に教室内がドッと沸いた
私は頭をかきながら苦笑いして教室を出ると
一目散に走った
後楽園場外目指して
ヤエノムテキが天皇賞を制したのは
それから1年後のことであった
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